昭和29年に歌詞を公募し、我が国を代表する作詞家、作曲家である高橋掬太郎たかはしきくたろう、山田耕筰やまだこうさくらの審査により、当時東雪谷在住だった26歳の女性の案が採用されました。それをもとに高橋掬太郎たかはしきくたろうが歌詞を修正し、山田耕筰やまだこうさくにより作曲されました。
1 明けわたる 新たな朝よ
田園の みどりも息吹く
あゝ こゝぞ あゝ こゝぞ
さやかなる 多摩の流れに
のせゆくは 自治の歌声
光あり 我らが大田
光あり 我らが大田
2 におい立たつ 火花と汗に
生産の 幸呼ぶところ
あゝ こゝぞ あゝ こゝぞ
のぞみある 日々をつちかい
すこやかに ひらく文化よ
力あり 我らが大田
力あり 我らが大田
3 青潮に かがやき映えて
天かける つばさの港
あゝ こゝぞ あゝ こゝぞ
いらか波 遠くつらなり
とこしえの 栄えめざして
誇りあり 我らが大田
誇りあり 我らが大田